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表情が感情を作る(こともある)

 先日京都を散歩してるときに、仕事帰りと思しき女性とすれ違った。素敵な身なりでそれなりな容姿もお持ちの方だった。が、如何せん苦しげで辛そうな表情をしていた、何なら眉間に皺が寄るほどに。その時に「あぁ言ってあげたいなぁ、、、迷惑がられるのがオチだけど」と頭によぎったことはこんな感じ。

「どれだけ辛いことがあった、もしくは待ち受けているんだとしても、少し頑張って作り笑顔をしてみませんか?
意外とね、作り笑顔をしてると、その苦しい気持ちが少し和らいだりするんですよ。
本当に苦しい時は余程頑張らないと作り笑顔も出来ないですけどね。

そして何とか作り笑顔をして、ほんの少しでも気持ちが和らいだりすると、
今抱えている問題が少し解決したりすることもあるんですよ。それが相手ある話だとしても。

感情があって表情がある、それも半分は間違ってないんですけど、
表情が感情を呼び込むってこともあるんですよ。」

 そう、どれだけ生まれ持った素敵な容姿をお持ちでも、表情が常に辛そうな人には残念ながら良いことは起きないだろうなと思うんだ。人がなかなか近寄れなくなっちゃうしね。逆に容姿に関わらず、表情が素敵だと、人間性も素敵だろうなと、何ならいろんな楽しいこと楽しい人を呼び込めそうな人だな、友達になっても楽しそうだな、、、と。

 でも明日は、いや一寸先は我が身。すれ違う人を見ながら、いろんな人生を想像しながら、いろんな場所を歩きたい、そんな散歩人生です。

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# by jazzmaffia | 2024-03-12 18:31 | ひとりごと | Comments(1)

Review : 「木」幸田文 著

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読了: #幸田文 "木"
素朴でありながら感動的でもあった映画"Perfect Days"の、役所広司演じる主人公が読んでいた本のひとつ。トイレ掃除を生業にしながら、移動中は車でカセットで音楽を聴き、夜は本を読み、朝出勤する時、昼弁当を公園で食べる時、トイレ掃除の合間にふと木を見上げる、その顔が眩しく幸せそうだった。そこに木との会話を楽しんでるかのようで。。。

その姿が印象的だったものだから、主人公が読んでいたこの本も素敵かもしれない、と思って購入。1月に映画を見た直後に買おうと思ったらどこに行っても売り切れだったが、2月になったら再販されたのか簡単に購入できた。

いやもう、この本そのものがまた"Perfect Days"な感じでした。作者自身が色んな木を森を見に行ってきたノンフィクションな随筆集・エッセイ集。

例えば「ヒノキ」、2本の立派な、樹齢300年あろうかという檜の片方は真っ直ぐで片方は少しかしいでいる。そのかしいでる方は林業従事者からすると「アテ」と呼ばれる、つまり木材としては使い物にならないものなのだと聞かされた著者は少し切なく思った。そして最後には「そんな過酷な環境を少し曲がりながらも生きてきた、頑張り屋さんとも言える木が何故使い物にならないのか?」と食らいつく。自らを嫉妬心が強いと称する著者が、ついそのかしいだ檜に感情移入してしまった、その姿に俺自身も心動かされる。

例えば「花とやなぎ」「ポプラ」では、戦後の木材不足を解消するためにイタリアから苗を輸入して日本で育てようとしたOさんの話が出てくる。ひとまず苗は順調にびっくりする程すくすくと育ったが、1年経つと成長が止まり、害虫にもやられて、結果断念することになる。その話を残念がるのではなく、「ポプラにはかわいそうなことをしましたが、なりふり構わず一途に働いた若い日々には悔いがないし、思い出しても快感があります」と言う。それに対して著者は風にそよぐポプラの葉を思い描いて「爽快なる失敗というのもあるのだと感嘆した」と締める。

素敵な表現だ、「爽快なる失敗」

その他、えぞ松・縄文杉などを見にいって木々のたくましさを感じてみたり、「木のきもの」では木の幹がまとっているものを「着物」に見立ててああだこうだと話を進めるし、崖崩れな場所・火山灰が降る場所に出かけて木々のこわさを感じてみたり、、、いや何がいいってこういう話には最先端も古臭さもないということ。どうしてもバッドニュースに翻弄されがちな日々だがそれは人間社会の話。そんな話をしてるすぐ横に木々は今日も風にそよぎ、雨や雪にかしいだりしながらも、何も言わずに佇んでいるのだ。そんな当たり前のことを素敵な切り口で感情移入させられる本でした。そして、どうしようもなくPerfect Daysの役所広司が思い出される本でもありました。





# by jazzmaffia | 2024-03-03 16:13 | SWING-OによるReview | Comments(0)

歴史は勝者の都合の良いように書き換えられている

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いやあ、、、恐ろしい本です。いや、本だからこそ記せたと言うべきかもしれない。何が恐ろしいって、俺が学校でテレビで教わってきた歴史が実は勝者の都合の良いように書き換えられてきたものだと思い知らされる本だから。ただ、これらはテーマがテーマだけに、ある種の危険も孕んでいる。特にヒトラーにまつわるものは、今や世界的にヒトラー=ナチ=絶対悪という共通認識で統一されている訳だから、タイトルを見るだけで
「そんなヤバい思想の本をSWING-Oは読んでるんだ」
という勘違いをされそうで、これを記しているだけでも少しドキドキする。

なにせ今は読書をしない方が多くなったのでね、Twitter~Xぐらいの140文字以内の文章でもってしか判断できない方が多いからね。いや140文字ですらもちゃんと意図を汲み取ることが出来ない方が多いからね。そういう意味での怖さです。

でも話を進めましょう。

この2冊とも、学校で教える内容とは違います。いずれの本も冷静に解説されてますが、ポイントはこう言うことです
「教科書に載っている歴史は、勝者の都合の良いように記されている」
と言うことに尽きます。ヒーローとされる人が実はそんな清廉潔白なヒーローなはずがないし、悪とされた人が救いようのない絶対悪なはずがないことも同様だと言うことです。

まずはこちらから
■「明治維新という過ち」原田伊織

これは近藤房之助さんの勧めで知りました。これがまず目から鱗だらけでした。教科書からテレビからでヒーローとして崇められている坂本龍馬、彼からしてグラバー商会つまりイギリスの会社で働いていた、つまりイギリスの都合の良いように働く男であったと。そのイギリスはついその前にアヘンを中国にばら撒いて清(中国)を滅ぼしたばかりで、日本をイギリスの都合の良いように作り替える策略を進めていた、その手下にすぎないと。ただ、昨今のように坂本龍馬をヒーローのように崇める理由はただ一つ、司馬遼太郎氏の彼への愛あふれる著書「竜馬がいく」による影響なのだと。

吉田松陰などはテロリストだし、そもそも「松下村塾」って名前からして吉田松陰が作った塾かと思っていたら、彼が行ったことのある(玉木文之進が開いていた)塾にすぎないのだと。一方敗者側である江戸幕府はダメダメと言われがちだが、ペリー来航のはるか前にすでに日米修好通商条約を結んでいたし、勝海舟の活躍ですらも後付けの歴史観であると。そもそも「薩長同盟」なるものは存在しないし「明治維新」という言い方ですらも大正時代以降に呼ばれるようになっただけだという事実。

なぜそういう歴史の改竄が行われたか?それは酷い経緯を経たとしてもなにせ長州が天下を取ったからだと。必要以上の殺戮を戊辰戦争でした遺恨が残っているからいまだに会津では長州〜山口への恨みが消えないのだけれど、それらを正当化するための各種の強引な美化が行われたと分析されている。

時間軸を丁寧に追っていくと炙り出されるリアルな歴史。そしてその後の歴史の書き換えに唖然としっぱなしの本でした。松陰神社に行くのはもうやめようと思います。


■「教科書に書けない、グローバリストに抗したヒトラーの真実」福井義高 著
日本史の嘘はまだしも、ヒトラーにまつわるものは慎重に呟かないと、どう言われるか分からないが、それは著者もよく分かってらっしゃるので、時間軸と残っている文書を丁寧に引用しながら、
*ヒトラーが本当に目指していた大ドイツという国のあり方
*どれだけソ連スターリン、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、それらの国に後押しされたポーランドが戦争を望んでいたか?
を解説していく本で、これまたイメージが大きく変わる本です。

それこそホロコーストと呼ばれるユダヤ人虐殺ですらも、順序だって見ていくと趣が変わってくるのだ。そもそもナショナリズムがドイツに限らず台頭した時代、ドイツはむしろバルト海にいるゲルマン人を呼び戻し、それぞれの民族がそれぞれの土地に落ち着くように無血革命を目指していた(占領だけの民族浄化ではないってことね)。ところが大恐慌に陥ったアメリカが戦争を望み、世界革命を目指すソ連スターリンが望み、そこに追い込まれるようにして、ポーランドに開戦してしまう(それも元々ドイツであった場所が占領されているのを取り戻すためのもの)。そこに至るまでにどれだけ和平交渉をしようとしていたか?の資料が数多残っていて、むしろ開戦を望んでいたのが英米の支援を受けていたポーランドであったという事実。しかも最初にユダヤ人およびドイツ人への差別と迫害を進めていたのはポーランドであった、と。

、、、そして今日に至る戦後史観の軸であるニュールンベルク裁判が、ドイツを追い込んだ側(英米仏ポーランド)の責任に触れられないように、なにせ最初に進軍したドイツが悪い、となるように気をつけて行われたことが各種資料から炙り出されている。

もちろん進軍してしまったヒトラー、そしてその後の内乱を鎮められなかった責任は大きいが、彼だけになすりつけるにはあまりに不自然なことがわかった。最近でも「チャーチル・ヒトラーから世界を救った男」という映画があったようだが、平和条約を結ぼうとするヒトラーに対して、それを拒絶してドイツを潰す=戦争を望んだのがチャーチルであるということには今の歴史観では触れられていない。

*****

こうしてみると、日本もなかなかに複雑な歴史を持っている中、平然と改竄されて教育されている訳だけど、ヨーロッパもなかなかに複雑な状況に陥っている。「大ドイツ」を阻止しようとする中の第一次・第二次大戦であったが冷戦を経て、結果的にヨーロッパの中では最も経済的にも影響力のある国「大ドイツ」となっているのが現在。でもヒトラー/ナチズムだけを絶対悪として臭いものに蓋をするような教育をドイツ国内ではされていて、その蓋が腐りつつあり、さらに複雑な社会になってきている現在だとも言えるのかもしれない。

やはり「絶対悪」と片付けるだけの思考停止は控えたいものだ。より良き未来のためにも。



# by jazzmaffia | 2024-02-18 23:12 | ひとりごと | Comments(0)