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脳神経科医からみた『音楽』の凄さと怖さ

なんだか最近本ばっか紹介してるね
以前もちらっと紹介したこの本、
やっと読み終わったので、レポを記しておきます

音楽をまた違った角度で捉えてみると
凄く面白くもあり怖くもあり、、、
という本でしたね

以下、自分のメモのために記すレポです
きっと長くなります、
興味があればどうぞ
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『音楽嗜好症〜Musicophilia』Oliver Sacks 著 2010年
さいわい音楽を生業にしているし、
日々音楽にどっぷりではあるが、
どっちかというと
美術やダンスや演劇などと共に、
表現手段のうちの1つ、という認識でいたが
脳神経科医の目線で書かれたこの本を読んで、
音楽がいかに「人間であることの一部」なのかということを知ることが出来た
事実、あらゆる人種の文化の中で音楽は高度に発達し、重んじられている

アルツハイマーを始めとする、いろんな脳の病にかかり
記憶力が全く無くなって来ても、
ある音楽にだけは反応し、その音楽が鳴っている間だけは
歌い、演奏し、普通に見える反応を示す症例を始め、
驚くべき量の症例を
脳神経医学の歴史や、歴史上の人物を多数引用しながら説明して行く
そりゃもう、、、ヘビーでした 笑

以下、自分的にメモっておきたい部分を記していきます
どんな種類の音楽もいっさい聞かずに、5,6日間を森の中で過ごすと、無意識のうちに周囲に聞こえる音、おもに鳥のさえずりを再生する様になることに偶然気づきました。その場の野生動物が「私の頭にこびりつく歌」になるのです。ひょっとすると、もっと原始的な時代には、旅する人間は、自分がどこにいるかを示す視覚的な手がかりに音の記憶を加えることによって、知っている地域をもっとたやすく認識出来たかもしれません。 ・・・・著者への手紙より
→都会で暮らしていて、失っている感覚の1つなのかもなぁ・・・と街中に溢れる宣伝音楽を聞きながら思った

ショスタコヴィッチという作曲家のはなし
戦時中にドイツ軍の爆弾の破片に当たり、数年後のレントゲン撮影で、脳の聴覚野に金属の破片が刺さっていることが分かったという・・・
・・・しかしショスタコヴィッチはその金属片を取り除くことを嫌がった。何故なら彼の話では、そのかけらがそこにあるから、頭を傾ける度に音が聞こえるのだと言う。
→雷に打たれてから急に音楽が頭に流れる様になり、ピアニストになった医師の話もでていたが、聴覚をつかさどる脳の部位に何がしか刺激が加わった状況になると、いろんな症状が起きる。それがこうした、作曲家となれるくらいのプラス作用に働く場合もあれば、その逆もある。そんな話

これは先日も記したことだけど
ヴェトナム語と北京語を母語として話す人たちは、単語のリストを読むときに非常に正確な絶対音感を示す・・・・4歳から5歳のあいだに音楽の訓練を始めた生徒の場合、中国人の生徒のおよそ60%が絶対音感の基準を満たしたのに対し、アメリカの非声調言語を話す生徒で基準を満たしたのは14%に過ぎなかった
→絶対音感は小さい頃から教育して・・・とはよく言われるが、なるほど音程を大事にする言語を小さい頃から話していれば絶対音感を持てる可能性が高くなるってことでもあるんだね

モーツァルトの友人の、ピアニストで作曲家のマリアテレジアフォンパラディス、の話
幼い頃から目が見えなかったフォンパラディスは、聴覚の世界、特に音楽の世界に順応していて、モーツァルトのような絶対音感と音楽記憶力で有名だった。18才のとき、著名な医師による治療を受けている期間、少し視力を回復したが、そのせいで音楽の知覚、記憶力、そしてピアノ演奏の力が急激に衰えた。医師の治療が終えた後、また視力が衰えてしまったが、彼女は悲嘆にくれた訳ではなかった。というのも、それから彼女は音と音楽の世界に再び完全に没入することができて、輝かしい経歴を取り戻すことが出来たのだ
→Stevie WonderやRay Charlesの例も本中に出て来るが、盲目ということは、すなわち本来視覚情報を処理する為に動いていた脳の部位が、聴覚用に使われることがある、という話。そりゃあそうだ!と手を打つ話でもあるね

共感覚=音と色などを同時に感じることを言うのだが
人はみな、もともと色が聞こえる共感覚者だが、生後3ヶ月くらいでこの2つの部位の接続がなくなってしまうと、共感覚を失うのかもしれない
→なるほど、大人になると、機能的に独立して「音」「色」を感知する部位が、幼児の時はまだ分化せず混じり合っている。でもその分化が完全に出来なかった場合に「共感覚」というのは起こりうるのかもしれない、て話

音楽と記憶喪失、の章で
本番前に酒を飲み過ぎてしまったピアニストの話
・・・演奏前に余計に飲み過ぎました。そして記憶喪失になったようで、ステージでストーンズの曲を演奏している最中に「気がついた」のです。ひどく酔っぱらっていたので、自分の指がその曲を弾いていることにビックリしたのを覚えています。とても自分の指とは思えず、私はただその指が動いて、ほかのバンドメンバーと一緒に正しい音を弾き、和音を鳴らしているのを見ているだけでした。私がしゃしゃり出て音楽に合わせて「弾こう」とすると、弾き方が全く思い出せなくて、自分の演奏の流れを完全に止めてしまったのです。それしか覚えていないので、さいわいにも私はそれからまた気を失ったようです。奇妙なことに、翌日バンド仲間に尋ねると、私はストーンズの曲の時にちょっと間があいたことを除けば、すべての曲を問題なく弾いていたといわれ、彼らは私がそんなに酔っぱらっていたことを知りませんでした。
→この感じはすごく分かる。さいわい記憶が飛ぶことこそ俺はないけど(今のとこ)、テンション次第では「誰が弾いてるんだ?」と俺の指を見ることがあるし、変に意識すると間違うこともある。上記のようなことをやった知人友人は数多いるしね 笑

脳のはなしとはちょっと違う、引用
音楽のルール、にまつわる話で
ストラヴィンスキーが『春の祭典』において、それまでの音楽の約束事を意図的に破ってみせた。この作品は1913年にはじめて演奏されたとき、パリ警察が介入する程の大騒動を起こした。伝統的な古典的バレエ音楽を期待していた観客は、ストラヴィンスキーのルール破りに激怒したのだ。しかし時が経ち、上演が繰り返され、聞き慣れなかったものが耳に馴染んで、今では「春の祭典」はベートーヴェンのメヌエットと同じくらい「おとなしい」コンサート曲として愛されている。

音楽による誘惑/効果に関しては
こんな小説や映画の話も
EBホワイトによる1933年の風刺小説「ウルグアイの覇権」では、催眠効果のある楽句を繰り返しエンドレスで放送する拡声器を備えた、無人機を飛ばすことによって、ウルグアイは世界征服を実現する。「外国の領地の上空で鳴るこの耐え難い音は、たちまち民衆を狂気に陥れた。そうなればウルグアイは都合のよいときに軍隊を送り込み、愚か者どもを征服し、土地を手に入れることが出来る
同様のテーマはティムバートンのパロディ映画「マーズアタック」でも用いられている。侵略して来た火星人は知らぬ間に作用する歌によって脳を破裂させられ、最終的に打ち負かされる。

皆ご存知「ボレロ」で有名なモーリスラヴェルも
晩年脳の病である種の認知症にかかっていたという。
彼は意味失語症にかかり、象徴やシンボル、抽象概念、あるいはカテゴリーに対処出来なくなった。しかし彼の創造する心は、あいかわらず音楽のパターンと旋律に満ちあふれていた
〜〜そして著者の言う仮説がまた驚きだ〜〜
実際、ラヴェルは「ボレロ」を書いたとき、認知症にかかり始めていたのではないかと思える。単一の楽句が何度も繰り返され、音と器楽編成は大きくなって行くが、展開がまったくない。そのような繰り返しはつねにラヴェルのスタイルにあったが、初期の作品ではもっと大規模な音楽構造を構成する要素だったのにたいして、「ボレロ」の場合、反復パターンのほかには何も無いと言える。
→なるほど、あの反復の音楽を、あの時代に書き下ろしたというのは、実は病的と言っていいのかもしれない、て話だね

*****

音楽って
「感じればいいじゃん!」なんてつい言っちゃいがち、言われがちだけど
その感じる大元って、つまるところ「脳」な訳だ
その脳がどういう状態かによって如何に音楽の聞こえ方が変わってくるのか
というふうに考えると、面白いし底知れないね

現代のように、
デジタルなもの、打ち込みな音楽を幼児期から聞いて行ったときに
脳にはどのように刻印されていくんだろうか?

旧来、
ギターやピアノなどの弦の振動であったり
打楽器や管楽器の響きであったり
を生で聴くことで感じていた脳が
変に整えられたデジタルな音を聴いて育って行った時に
果たして脳は進化していくのか退化して行くのかどっちなんだろう?

デジタルなものにしか反応しないような人間もこれからは増えて来るんだろうか?
生のギターやピアノを「全く気持ちよくない!」と言う人間も増えて来るんだろうか?
「よい音楽」「だめな音楽」
という分け方も、感情論を置いておくならば、つまるところ脳科学に行き着くんだろうか?

いろんなことを考えさせられる、
視野を広げてくれる聴覚についての本
でした





『音楽嗜好症〜Musicophilia』Oliver Sacks 著
 
 
 

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by jazzmaffia | 2015-03-25 01:38 | Recommend | Comments(0)

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