"The Wildman Meets The Madman" Bobby Enriquez &Richie Cole 1982
ジャケはポップでいい感じだけど
決して中身は好みではない
いわゆるただの「ジャケ買い」な作品
元がゆるい写真ジャケだったので
日本受けするためだろう、
日本独自のジャケットに差し代わって発売されている
これはレコード時代の洋楽にはジャンルを問わずによくある話
フィリピン人ピアニストBobby Enriquezと
アメリカ人サックス吹き大御所Richie Coleの共演盤
どちらも音数が多くて
それでいてよくも悪くも超スタンダードな作風なので
ホテルのラウンジ感以上のものではない
なんだけど、
ジャズ評論家の大家、
油井正一さんによる解説がすごく面白くて紹介しておこうと思った次第
日本盤の良さは、
帯がついていることと
こうした解説、歌ものなら対訳が付いていたりすること
そしてこのアルバムの解説では
フィリピンにまつわる歴史にまで話が広がっていて
それがすごく面白かった
その内容を要約すると
■フィリピンは1571-1898年までスペイン領
■1898年にキューバの利害を巡って起きた米西戦争(アメリカxスペイン)にアメリカが勝ち、フィリピンとグアムはスペインの手を離れてアメリカのものとなった
■1934年独立が約束されていたが、1941年には日本軍が占領し、1945年日本の敗戦によって解放され、1945年に完全な独立国となった
■20世紀初頭はアメリカ文化の東洋における中心地となり、日本を含めて東南アジア全土にフィリピン人ミュージシャンは出向き、影響を与えた
そう、まさかの話だった
日本のジャズ〜ポップスの歴史(特に戦前)に
フィリピンからの影響が含まれているだなんて
よもや考えたことがなかったから驚きの話だ
このアルバムの主役のボビーのインタビューでは
「僕の体内のはラテンの血が流れている」と答えているけど
もともとフィリピンがスペイン語だったことや
上記のキューバがアメリカ領になったタイミングと同時に
フィリピンもアメリカ領になったことで
多くのキューバ音楽がフィリピンにも入ってきていたらしい
一般的に日本におけるジャズ〜ポップスを解説される際には
アメリカからの影響な話しか出てこないので
こういう話はビックリだよね
実際戦前からジャズだけじゃなく
ラテン音楽は日本でも流行っていたわけだけど
ただただアメリカ直輸入ではなく
フィリピン経由なものも多数あったと
実際フィリピン人ミュージシャンも多数日本に来ていた
もしくは住んでいた、らしい
そんな話を聞くと
いろいろと想像が掻き立てられるよね
俺らが学ぶ文化史は
ほとんどが欧米→日本だからね
こうした近所づきあいな部分というのも
歴史上多数あるはずなんだよなぁ・・・と
実際、鎖国以前のフィリピンと日本もいろいろと交流があったそうだし
アルバム的には特にオススメするものではありませんが
300円だったし
この解説を読めただけで買った甲斐がありました
、、、なレビューでした 笑