「知性の総量というのはどの時代でも変わらない」と村上春樹は小説の中で言っていたけど
概ね自分もそう思う
少なくとも人間が人間社会を構築し始めてからはそうだと俺も思う
例えば俺の知ってる範囲で
昔と今を比較して見てもそうだと思う
例えば嗅覚
俺が子供の頃の話
つまり30-40年前の話
自分の親はタバコを吸わないが
来客があってタバコを吸う人には灰皿を出して
思う存分吸わせていた
そして次の日に窓を開けて換気をすれば
「はい、もう大丈夫でしょ」と母親は言っていたし
俺もそう感じていた
でも今は間違いなくそうはならないだろう
「あぁ、ヤニのにおいが残っちゃってる・・・」
と俺ですら思うだろう
タバコの匂いに対しての敏感っぷりは
ここ数十年で間違いなく変わったと思う
体臭からハーブから、
嗅覚にまつわる感度は昔と今では大きく違う、気がする
例えば味覚
これも大きく違ってきている気がする
俺的に言うならば
「美味しんぼ」以前と以後で大きく変わった印象がある
美食が「ブーム」と言われてから
ちょっとした味の違いに対しての感度は
昔と今で大きく違う、気がする
もちろん揺り戻し的に
B級グルメ〜下町のソウルフード再評価な流れもあるけれど
それはまた違う角度で「美味しさ」を解析する形での再評価だしね
例えば視覚
これは感度の変化は定かじゃないが
視覚情報の処理をしなきゃいけない量が
大きく増えたと言われている
「本離れ」はよく言われるけれど
ご存知なように皆が皆スマホと四六時中向き合っている訳で
結果、「文字消費量」は「本・雑誌」時代の人よりも増えている
と言うデータを聞いたのも納得の話
ファッションに対しての敏感っぷりも
昔と今では違うだろうが
それも視覚情報処理を必要とすることな訳で
そんなこんな積み重ねで
現代人の脳みそはかなり視覚情報処理に費やされて
疲れている訳だ
そして聴覚
最初の話に戻ると
一人当たりの「知性の総量」も昔と今で大差ないとすれば
嗅覚味覚視覚に昔と比べて多くの知性を費やされている分、
一番割を食っているのが聴覚じゃないか
と俺は思っている
俺自身の体感としても
聴覚は磨けば磨くほど深まるものなんだけれど
パッと聴きよくわからなかった音楽も
なんども聴いているうちに魅力が分かってきたりするものなのだけど
視覚情報のように「パッと見」でわかりやすい情報処理を優先されて
「聴けば聴くほど」磨かれる聴覚というのは後回しになっているのではないかと
最近の音楽がつまらない
音楽が売れない
もっと音楽シーンを活性化させたい
などは音楽関係者が口を揃えて言うことだけど
「いい音楽がない」のではなく、
聴覚を大事にする感性を持つ人が減ってきている
そういう時代の捉え方も必要なのではないかと俺は思う
例えば
いい音楽を作ってるけど見た目がファッションを含めてダサダサな人
ってのは昔は売れる場合があった
音楽の一人歩きがあったからね
でも今は厳しいだろう
ファッションやタレント性も音楽の大事な要素となって久しいからね
それって視覚じゃないか!って話だけどね
そんな時代にドロップする
そんな時代のリスナーに届く「良い音楽」とは何か?
どう発信すれば良いのか?
ということはこれまでもこれからも
いろいろ考えつつ試しつつ
大事にしていきたいね
聴覚
*****
あと一つ大事な感覚を忘れていたね
触覚
これはどうなんでしょ?
昔と今でどれくらい違うのかは検証できてないけれど
俺は
大事にしてますw
そろそろ開花、ですね