2007年 12月 16日 ( 1 )

自分の一番の敵は、自分である

先日、日帰りで熊谷和徳のライブの為に仙台に行ってきました。
どんな状況のライブかをあまり詳しく聞いてないまま会場に着いたら、薬害C型肝炎問題に戦う団体の支援ライブでした
http://www.hcv.jp/main.html

こういう問題って色々考えさせられる

薬というものは副作用があって当然
という側面がありつつも
その副作用をちゃんと調べなかった、もしくは最悪知っていながら使った側、すなわち医師もしくはそれを指示した厚労省の責任ではないか?
という所がこの薬害問題な訳だ

だから争点はいかにして、製薬会社に、厚労省に、そして政府の責任であることを認めさせて、被害者に謝罪と補償を求めるか?という点になる。

こうした問題の現場では
被害者はいかに今の自分が辛いかを訴え
今後二度と起こらないように、という願いを訴え
結果
支援者はいかに政府側が悪者かを訴え
根本的解決を政府に要求する!

という流れである。

この日も5,6名程の学生もステージに上がりつつ、最後には
「もう待てない!薬害問題の全面解決を求めて総理官邸に決起パレードを行います。共感していただいた方は是非このパレードに参加下さい」という形で締めくくられた。




非常に申し訳ないのだが、個人的には100%の支援者な気持になれないのだ

もちろん、被害者は大変だ
人生を狂わされた側だ

でも100%支援者な気持になれないのは何故か

それは、この「問題」の解決策としての動き方、だ

何故、政府が謝罪し、補償金を出すということにしか目標を定められないのか?という点だ。 

何故それを根本的な、全面解決、としてしまうのだろう???

もちろん、身内にそういう人がいたならば、
謝罪と補償を求めて、今後こういうことが起きないように社会にも訴えていこう!
という動きはある程度は俺自身もするかもしれない。



でも冷静に考えてみよう
じゃあ、何故そんな害のある薬を医者は患者に投与してしまったのだろう?
例えば今回の問題の元となった、血液製剤、とは要は献血を元に作られる訳だけど、
『日本国内の献血から得られた血液から作られる血液製剤だけでは、日本国内の需要を賄うことが難しく、現在(2006年)でも、全体の生産量の約半分は海外における非献血(売血)を原料とする血液製剤であり、前述のウイルスキャリアのリスクが日本の献血より高いという難点・課題がある。』(FromWikipedia)とある。

その一点からだけでも次のことが言えるよね?

我々がちゃんと献血に定期的に行っていれば、この問題は起きなかったのではないのか?
1つの側面として、そういうことは言えると思う


ちょっと違う例を挙げてみると
先日、岡山のある新興住宅地である虫が大発生していて住民が困っている、という報道があった。
そこでは
「いかに虫が年々増えているか」
    ↓
「いかに住民が困っているか」
    ↓
「そして虫によって商売上がったり、な料理店などを紹介。経済的ダメージを訴える」
    ↓
「政府なり、の対策を紹介。しかしそれがいかに中途半端かを紹介する」
    ↓
「住民が立ち上がり、市と県に、抜本的解決策を求めている」

という流れだった。

でも報道の中に、ちらっとだけ出ていたのだけど、
「虫が増えた原因は、町の近くにある湖に流れ込む生活排水により出来た、ヘドロのようです」
と紹介していた。

それそれそれ!それじゃないか!
そこの住民は、ただただアンラッキーなのではなく、自らもその虫を生む種を蒔いていたのではないか!



ちょっと薬害と虫の例を並べるのはちと申し訳ないのだけれど
(それがその人の日々の生き方に左右している点は同じ)、俺の言いたい点は同じ。

自分の身に起きたことは、自分にも責任がある

敵を1つに絞ることの不自然さを感じるのだ。
敵を1つに絞ることで、加害者vs.被害者の図式が出来る。
そうすると、どちらでもない俺は、ただの観客となってしまう。

薬害問題も、結果として、福田首相との対面は実現しなかった
でも、テレビで報道をした結果、軽く特番も組まれ、雑誌の記事にもなり、全国で集会が開かれ、問題意識が若干だけど高まりつつある。
そのせいか、福田首相も全面補償を示唆する発言を始めた。
この調子でいけば、そう遠くない段階で、原告側の訴えが政府に通るのも時間の問題だろう。

でも、それでいいのか?

問題は問題、被害者がいて加害者がいるならば、責任追及をすること自体は何ら間違いではない。ただ、「二度と起こらないように」ということとはリンクしない。

このままだと、幸い薬害問題に関するイベントに関われた俺でも、いずれは記憶から消えていきそうな見え方なのだ。だって、誰しもが輸血を受けなければいけない状況になり得る、ってことは、他人事に出来ない問題ってことでしょ?詳しいことは俺も分からないのだけど、ちょっと考えただけで、本当は他人事で済まない事件なはずなのに、ただの事件的見え方なのが残念だ。

どんなちょっとした問題でも、その人の人生を左右する大きな問題になり得る。
最近のニュース~報道のあり方が、その、事件性にばかり焦点をしぼって報道するものだから、漠然とした不安感こそ頂戴できても、明日から自分がどうすればいいか?というヒントが何も提示されない。
「あの会社、ひどいよねぇ」という雑談を生むだけで終わってしまう。

介護の問題、年金の問題から食品偽装の問題まで、2007年も色んな問題がテレビを賑わしたけど、どれも加害者を攻め立てるばかり、、、、
何でそういう問題が起きたか?に焦点が全くあたっていない。


人手が足りないから?
安く安くという顧客のニーズがあったから?
???
報道してるキャスターにも、見てる俺自身にも、何か加害者の要素はある
「問題」というのは加害者×被害者と100%分けられるものはない
少なくとも、そう思えないと、辛いことばかりの人生しか用意されないよ
少子化、高年齢化、地方の過疎化、そうしたこともこれらの問題に大なり小なり関わっていたりもする
自分のちょっとした生活の中から修正できることを、周りに推奨していく、という運動ならば俺、協力しますよ!


そういう意味でこの、薬害C型肝炎問題、のHPの仰々しさは引いてしまうよね。
賛同者を増やし、根絶を目標とするならば、もう少し冷静に全体を見渡した上での動き方、が必要だと思われてしかたが無いです。政府が悪者だとしたら、あなたは何なのか?選挙権のあるあなたの責任は?自分は?



そういう意味において、俺も今回体験した「薬害問題」の加害者の一人ってことですね。何故ならここ10年は献血してないから。


自分の身に起きたことは、自分にも責任がある
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by jazzmaffia | 2007-12-16 17:55 | ひとりごと | Comments(0)