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イチローの引退記者会見

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本日2019年3月21日の
東京ドームで開催されたメジャー開幕第二戦
マリナーズxアスレチックス戦でもって
イチローが引退した

彼の発する言葉は
いつも吟味された「彼自身の言葉」なのは
以前から評判でもあったし
俺も時々目に耳にしていたから
引退記者会見ともなると
その言葉を沢山聞けるだろう、と思ってたら
やはり予想通りでした

よりによって延長11回まで伸びて夜11時に試合終了
ファンの大歓声に呼ばれる形で11:30頃に再び球場に顔を出し
本日がメジャー初登板だった菊池雄星の会見を挟んで
12時前から始まり、
なんと1時半まで90分も行われた
記者会見をまるまる見てしまいました

以下メモっておきたい言葉を
思い出しながら記しておきます
あくまで俺がキャッチしたニュアンスのメモです

■50歳まで現役!と言ってましたが45歳のこのタイミングの引退について
「50歳まで現役」というのを本気で思って、本気で口にしていたから
ここまでやってこれたんだと思うんです
→これ、キュンときましたわ
そう、限界に挑戦する側って、そういうことよね
「50までって言ってたじゃないですか!」
って視点でついレポーターが質問しちゃいがちなのも分かるけど、、、

■努力、頑張ることについて
「他人より頑張った」とは全く思わない
我慢できない性格ですし
自分ができることをコツコツと続けて、ちょっとずつ進んできたら
ある時いい場所まで来れたという感覚です

→すごく共感、比較するのはおこがましいけれど、
俺が音楽で今食っていけてる、と言うポジションへの道は
まさにそんな日々の積み重ね
イチローが「とにかく野球が好き」なように
俺も「とにかく音楽好き」だからね

■子供たちに伝えたいこと
野球じゃなくてもいいんです、自分が夢中になれることを見つけて欲しい
「成功できそう」だからやる「失敗しそう」だからやめる
と言う発想だと後悔しちゃうと思うんです
好きなこと夢中になっちゃったことをとことんやればいい
それなら後悔しないでしょうから
後悔するのは嫌でしょ?

→この類の話をなんどもしてたね
打算、計算じゃなくて
気持ちでぶつかっていくことの大切さ
そして、後退していく、諦めたことも多数あったことも告白していた
彼の言葉は本当リアリティに溢れていたね



■「最近の野球は19年前メジャーに行った時とは全く変わってしまいました。
全く頭を使う野球じゃなくなっちゃったんです。本来野球は頭を使わなきゃいけないものですから」
これを言うとちょっとまずいかな?と言葉を選びながら言っていた

→そこまで野球を真剣に見てきてないから分からなかったけど
野球の世界でも
「頭を使ってた時代」→「頭を使わない時代」
に変わってしまったんだね?
野球の世界でもイチローの視点からすると反知性主義的な時代になってしまったんだと知って
どの世界でもそうなんだなぁ、、、と

******

他にもいろいろいい言葉があったな
でも何より印象に残ったのは、
彼の言葉選びの佇まいが素晴らしいこと

質問に対して
ちゃんと自分に問い合わせてから
自分が納得する言葉を選んで答える感じが素晴らしい

彼のような人を相手にしていると
質問者のセンスがあらわになるから面白い
すでに答えたのにまた同じ質問をしちゃう人がいたりもしたしね
質問者が、
ジャーナリスト〜レポーター側が
実は言葉を大事にしていない場合が多い
という事実を
あぶり出しちゃうんだよね

いやぁ、、、見入っちゃった90分でした

ひとまずは
イチロー
28年間のプロ野球生活
お疲れ様でしたw


by jazzmaffia | 2019-03-22 02:01 | ひとりごと | Comments(0)

「自分らしく」「本当の自分」って??

書き留めておきたいことがいろいろあって
できればいろんな人に読んで欲しいけれど
でも万人が受ける内容でもないし
中には反感を持つ人もいるだろう、、、
ということを書く場所として
やはりSNSよりblogぐらいがちょうどいいなと思う今日この頃

以前も書いたことがある、気がするが
もう一度今の自分が言葉にすると違うかもしれない
と思って記す

*****

「自分らしく」「本当の自分」
という言葉の薄っぺらさ
そして影響力の強さ

昨今、ていうか俺が生きてきた中では
ほぼそこらじゅうでつぶやかれ、
記事や広告で使われてきた言葉だね

これらの言葉には
「ここではない、どこか」
と同じくらいの薄っぺらさを
今の俺は感じるんだけれど
まだ不勉強だった頃は、すごくこれらの言葉には惹かれたし
周囲からのアドバイスや説教の中でもたくさん聴かされた言葉だ

今日は「自分」について思うことを記しておきたいだけなんだが
「自分らしさ」という概念を
=生まれながらに持っている自分=本来の自分
みたいに言われがちなことに対しての疑問を
それなりに勉強してきた俺、50歳を今年迎える俺は感じるね、それも身体的に

そもそも俺、SWING-O自身の個性ってなんだ?
俺ってどんな人だ?どんな音楽家だ?
と言ったことを振り返ってみるとなお、その疑問は強くなる

なぜなら
元々プロのミュージシャンになりたかったわけじゃないし
増してや黒い音楽〜ソウルミュージックをしたかったわけでもない
いろんな偶然の積み重ねと言うと説明を簡略化させすぎかもしれないが

幼い頃から貯めたストレスとそれを解消しようとする俺
でも解消しようとすればするほど解消できない悪循環に入り
社会が用意してくれる「進学〜就職〜終身雇用」というルーティンに
乗っかってもこのストレスが解消できないことを20歳の頃に直感したので
レールに乗らない道を選んだ

そんな「強い意志」なんてない
強くある意志は「ルーティンに乗らないでも生きていけるように」頑張りたい
という意志だ

でもそんなことを言っても今の世の中ではポップではない
仕事を獲得していく上でも有益な内容ではない
だから俺は人に聞かれた時のために
「黒い音楽は任せてくれ」
「黒い音楽を日本に浸透させるために頑張ってるんだ」
みたいなポップな言葉に敢えて変換しているだけだ
その根底はただ
「ルーティンに乗らないで生きていきたいから」
に過ぎないのだ

*****

あと俺の中に強くあるのは
「始原の遅れ」という感覚だ

これは本来は
人間が生まれた時には
例えば俺の年齢ならば
生まれた時にすでに言葉はある、電車がある、新聞雑誌テレビなどのメディアがある、、、
などなど、すでに存在するものが数多あり
何も知らない赤子から徐々に、
まずは「すでに存在するもの」に追いつけるように頑張るしかない
という事実について指す

そして俺の場合はさらに
「クラスメートからの遅れ」
音楽で食っていけるようになったのが30過ぎからだから
「音楽業界の中での遅れ」
を感じながら、必死に追いつけ追い越せと生きてきたし
たった今も「遅れ」をいろいろキャッチしながら、ある種ビクビク生きている

ポップに換言するならば
俺は「嫉妬深い」ということかもしれない
「あいつ、うまくやりやがって」
「あいつ、羨ましいなぁ、、、」
その感じを常に俺は持っている

そして敢えて自分を褒めてあげるならば
俺は常に
「頭のいい人」「生き方の上手な人」「腕の立つ人」を
時代を問わず羨ましがる目線を持っている
そんな彼らに始原の遅れを感じている
「こんなんじゃだめだ俺」と

そんなコンプレックス的なものをキープできてるから、
いい年こいた後も少しは成長してこれたし
なんならこれからも少しは成長できるんじゃないかなと思っている

*****

そんな俺からしたら
「自分らしく」「本来の自分」
なんて考え方はちゃんちゃらおかしい
ていうか、そんなに自分に自信が持てるものか?と
本来も何もあったものじゃないよねと

その言葉にあるのは自己肯定
いやそれはそれである程度は必要なことだけれど
「俺ってこうなんだ」「私はこうだ」と
欧米的にハッキリ主張することって
たった今の社会において優遇されるし
「格好いい」とされるのはわかるけど
それは
自己肯定のようで自己限定でもある、
という事実が見逃されがちだ

俺が大事なことだと思っているのは
「自分」と言う人間が社会に置いてどういう人間か?
どういう人間であるべきか?
と言うのは
あくまで社会の中で決まることであって
自分一人で決めれることではないんだ、

一人で山にこもって新しい自分を発見したと言う人がいても
山から降りて、その前にいたコミュニティに戻ってきたら
また元の自分に戻されてしまう、か、省られるだけだ

同窓会がいい例かもね
どれだけ昔とキャラが変わった、見てくれが変わって、
昔と違う自分になっていたとしても
1時間も立つと結局昔のクラスメートの関係性に戻ってしまうでしょ?

本来複雑なことを、言葉にしづらいことを
一つのシンプルな結論に持っていくのは
ビジネスに置いては必要なことだというのは重々承知だけれど
気をつけないと、その人の可能性をむしろ縮めることになるし
違う意味で圧力、ストレスを与えることにもなる

じゃあ
あるがままの自分
か?

これまたポップだけどなぁ
これも
そんな強く生きていけるか?と俺は思っちゃうな
ま、
人を一瞬楽にしてあげられる言葉
としては利用価値は認めるけどね
そもそも「あるがまま」ってなんなん?
って関西弁的に突っ込みたくなるのが本音

俺自身の日常の感覚は
「もっと俺はこれくらいできるようになるはず!」
「俺に足りないのはなんだ?」
って感じだね
常に自分に満足しない
ま、年齢とともに、半分くらいは満足する自分になってきた、気がするけれど
半分以上満足できそうになると必ずうまくいかない事があったりして
結果不満足な自分に戻る
そんな49年間だね

神様は俺に優しい、、、と結果今なら思える
昔はなんで俺ばっか???と
被害者意識があったけどね
今は「あぁまた試練を与えてくれたんですね?」と言う形でキャッチできる
悩むことは辛くもあるけれど
具体的にすれば意外と楽になる
いろいろ経験してくる&勉強してると
まぁ俺の悩みなんてちっぽけだってことにも気づけるしね

俺のように
始原の遅れを感じつつ生きる
周囲にも遅れを感じながら生きる
っていうのは
たった今、皆に勧められるものではないけれど
すごく学び甲斐のある感覚にはなる
実際、悩みは常にあっても
違うスケールの悩みに変化進化深化していく
羨む知性のある人の意見をキャッチして吸収していける感覚になる

もっと楽に生きようよ
だって?

いや
苦労するくらいがいいんじゃないかな?
その都度精一杯あがいてる方がいいんじゃないかな?
振り返った時に3分はニヤつけるよ 笑

ってのが俺、だな

*****

長い自問自答、自己確認でした
ここまで読んでくれて、
かつ響く人が二人くらいいると、幸いですw


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写真:2014年10月の茨城は結城市のイベントにてソロピアノ演奏中の俺

by jazzmaffia | 2019-03-14 01:59 | ひとりごと | Comments(0)

Book : 「歴史」について考えさせてくれる本たち

「歴史」と言うとどうしても
**年に**があった
と言う形で、偉人、有名人を軸に振り返りがちで
それは俺自身を含めて
皆がそのように学校で学んできたからだよね?
「歴史」とはただただ記憶力テスト
(もしくは武勇伝)
みたいな学び方しか一般的には知られていない、気がする

果たしてそれが本当の「歴史」
つまり
昔の日本人と今の我々を直結してくれる話なんだろうか?
と問われると、確かに!だ
そんなことを疑問に思ったこともなかったからね、以前の俺も

信長がいついつ何をしたって、
俺にどれだけ関係があるんだ?
と普通なるよね
子供ならなおのこと

音楽におけるその時代のトピックも
江戸時代に将軍が何をしたってトピックも
そこに必ず市民がいる
そして教科書に出てこないタイプの史実があったりするはずなのだ

そんなことを実に興味深く、
考えさせてくれる本たちをたまたま最近読了したので
紹介しておこう


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「鬼がつくった国・日本」
小松和彦・内藤正敏 著 光文社

「鬼」となってるから
どんな怪談話か?というタイトルだけど
そっちではなくて、
日本の裏社会を支えてきた人たちを「鬼」と言う形で総称している
、、、と言うことで興味を持って買ってみた
(渋谷の古本屋名店 FLYIING BOOKSで)

確かに昔の日本には
イタコ、忍者、陰陽師などなど
冷静に考えるとよくわからない人たちが多数存在していた
その人たちがどのように国の中心部と関わってきたのか
結果、国を動かしてきたのか?
と言う視点で捉えよう!と言う本で、実に面白かった

天皇や将軍ベースの、
つまりトップダウンな視点ではなく
末端な人たちがどのように国の中枢に影響を及ぼしたのか?
と言う下からの視点、これは面白いよね
今なかなか学校やメディアでは教えてくれることのない、視点だ

京都という町が平安時代に入る時にどのように
陰陽師などに支えられて作られたか
どのように呪いを恐れ、呪いから守ろうとしていたのか?
そんな話から
実際俺も友人から聞いたことがあるんだけど
紀伊半島の山には「鬼」の子孫とされる、
「鬼」と言う文字の入った苗字の人たちが住んでいて
そういう人たちや、のちに忍者とされた人たちは
山々を越えて裏ネットワークを持っていたと

その裏ネットワークは時に国ともぶつかったが
基本、国の権力者たちはその裏ネットワークを利用した方が国を支配できる
と言うことで表と裏が繋がっていたと言うのだ

通常学校教育ではそうした裏社会の人たちは
「非人ひにん」と呼ばれ、差別されていました
と教えられることがほとんどなんだが
その実は差別ではなくて、区別だったと、棲みわけだったと
むしろ下々とされる人たちはそれを武器に強く生きていたのではと

どうしても都会ベースで我々は社会のあり方を捉えちゃうからね
飛行機や電車が誕生する前の時代は
確かに山を直に超えていかないと隣の街や国にも行けなかったわけでね
そんな時代の山々のネットワークはどれだけ日本においてすごかったかと

今の感覚でもって過去を眺めると、
逆に当時の感覚とずれてしまうことが多々ある
ってことだよね
深い!!

あと江戸末期1867年の
「ええじゃないか」
ってのがすごく面白かったね
なんでもその年の8月に突然起こった大衆乱舞のことで
それは翌年4月まで続いたそうで、
大衆が「ええじゃないか ええじゃないか」とはやしたてながら
町や村を練り歩いたらしい
ストレスのたまりまくった大衆による「世直し」の運動と捉えられたそうで
事実その年1868年の7月には明治維新が起きるわけだ

西欧における「ダンスマニア」ってのと同じだね
かなりのストレスを大衆が共有した時に
突然皆が踊り出すって話は読んだことがあったけど
日本にも起こったことがあるのは初めて知った
これから先の日本にもあり得るのかな???
すでに渋谷の交差点で始まってるって見方もあるね???苦笑

**********

「歴史の話〜日本史を問い直す」
網野善彦・鶴見俊輔 著 朝日文庫

偶然これも対談本で
同じく歴史は下からな視点であるべきだと
この中の言葉だと
「生きた生活」を軸に語られなければならない、
と説明されていた

そもそも「歴史学」自体が
これだけいろんな流派があるというのも
現代な我々にはあまり伝わってこない
柳田國男とかの存在は知っていたけれど
その社会的な意味の大きさだったり
かつこの著者二人は柳田國男とは相容れない部分があると言う
不勉強な俺には
「歴史学者」の中でも流派の違いがある
なんて知る由もなかった

その、「歴史」そして「言葉」の奥深い意味を大事にした世代、時代を
ある種羨望の眼差しで読んでしまう本でもありました

まず「百姓」と言う言葉の重層性から入るからね
俺も類にもれず、「百姓」=「農民」と思っていたが、
歴史上、「百姓」とはもっといろんな職種を指していたと言う
そんな、言葉の意味の変遷というのも「歴史」を考える上で重要だ

例えば明治維新以降の日本は
欧米の文化を積極的に輸入するに当たって、
欧米の言葉をどんどん訳語を作ることで対処した
訳語は瞬時に誰かが作れば済む
そして学ぶ者はその訳語の言葉を覚えれば学習したことになる
つまり、学ぶ速度はかなり早くなる
でもその元の言葉が持つ重層的な意味はないがしろにされてしまう、と

そして現在の歴史学〜果ては学問・教育の
多様性の無さへも不満を漏らす

「正しい思想はこれに決まった、右へならえ」
というのは学問じゃありませんから
という言葉で、二人は警鐘を鳴らす
団結の恐ろしさを説く
太平洋戦争へ向かった日本人を引き合いに出して

あと個人的には
日本の歴史というものは
年貢の話を筆頭に、そうしても「農業ベース」で語られがちなんだが
その理由は古来は中国から、中世近世は欧米から文化を輸入した際に
先方の国々が「農業ベース」の国だったからなんだと

でも実際の日本はご存知、海に囲まれていて
むしろ漁業ベースと言っていいくらいの国のあり方だ
そんな、漁業を軸に日本史を捉え直すってこともこれから大事だと
説明されるとまさに目から鱗だったね

こらまた深い!!

**********

現代の表層的な
答えを一つに絞るアメリカ資本主義
つまりは金銭ベースな社会に対して
俺も、(分かりやすくはあるものの)不満もあるわけで
その理由をこういう壮大な視点で説明されると
すごく腑に落ちる

現代が足りてないものは
現代が失ってしまったこの知性は
今後そのまま消えていくことはない、はずで
俺もその何分の一も把握できてるかわからないんだが、
何せ「あちら側の知性がある」というのは少なくとも理解した
そこだけでも持ち続けていきたいと思ったし
それを音楽活動にどのように還元するか?
と今後も考えていこうと思う

、、、いやぁ
日に日に読書が面白くなるわ
学ぶことの楽しさだね
視点が広がることの快感だね

SNSを捨て
書を手に取ろう

なんて今なら寺山修司は言うんだろうかね


 

by jazzmaffia | 2019-03-02 20:35 | SWING-OによるReview | Comments(0)